February 21, 2007

●オリジナル曲、完成!(b^-’)

昨年、後輩に頼まれていたバンド用の曲作りの件で、昨日でとりえず3曲書き上げました。今晩後輩に原曲を渡して、後のアレンジはお任せします。

最近、いろんな出来事があったので、曲作りの題材となる「怒り」「悲しみ」「悔しさ」という感情には事欠かなかったので、思ったよりはスムーズに進みましたね。曲作りの最中に浮かんだ詩のフレーズもノートに書き留めておいたので、一緒に渡そうと思います。

1曲目の「Kill me(仮題)」はDEICIDEのエッセンスを交えてかなりアグレッシブさを表面に押し出した感じになりました。途中リズムが♪=250を超える部分があるので、ドラムのヤツが速さについていけるかどうかが不安ですけど。(笑) 他の2曲も結構自信作と言えるモノに仕上がったと思います。

詩の内容は・・・、ヤバクて書けないな。(^^;
読まれたらみんな引いちゃうから、早いとこ英詩に訳しとこ。(笑)

4月にはライブがあるそうなので、それまでに形に出来るかな?
もしかしたらσ(^^;も飛び入りでライブに参加するかもしれません。(笑)

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投稿者:Ino at 8:17 AM

November 28, 2006

●曲作り再開!

先日、大学の後輩に呼ばれて仙台市内のライブハウスに出掛けました。
最近は仙台のライブシーンも活発化してきているらしく、多くのバンドが活動しているようです。会場によってはほぼ毎晩ライブが行われているようです。

後輩のバンドですが、流石σ(^^;の後輩だけあってヘヴィメタバンドです。(^^; 今はSLAYERやMEGADETH(知ってる?w)のコピーをしながらオリジナルの曲も若干織り交ぜているようです。出来は・・・まぁまぁかな?(笑)

打ち上げの席で、一番年が近いメンバーからいきなり言われました。





「inoさん、曲作ってください!」





(゜-゜) ナンジャイキナリ。。。





そしたら廻りの連中からも頼まれるようになり、嫌でも断りずらい状況に。。。(^^; この錆びきった腕でどこまで曲が作れるか?ですが、引き受ける事にしました。

私が影響を受けたバンドは数知れず、この手のジャンルだと 音のへヴィさはDIECIDE、曲の構成はDEATHの要素が大きくなりそうです。最近はいろんな出来事があったんで、怒りや苦しみ、悩みなど、曲を作る題材には事欠きません。

アンプを通したら、みんなが一瞬で凍りつくようなへヴィなリフでも刻んで差し上げましょうかね。。。v( ̄ー ̄)v

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投稿者:Ino at 7:06 AM | Comments [0]

November 15, 2006

●「さようなら」

ぼく もう行かなきゃなんない
すぐ 行かなきゃなんない
どこへいくのか わからないけど
さくらなみきの下をとおって
大通りをしんごうでわたって
いつも眺めてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのか 知らないけど
おかあさん ごめんなさい
おとうさんに優しくしてあげて
ぼく すききらい言わずに なんでもたべる
ほんも いまよりたくさん読むとおもう

夜になれば星をみる
昼はいろんな人とはなしをする
そしてきっと一番好きなものを見つける
見つけたら 大切にして死ぬまで生きる

だから遠くにいても寂しくないよ
ぼく もう行かなきゃなんない
すぐ行かなきゃなんない
ひとりで行かなきゃなんない
すぐ行かなきゃなんない


詩:谷川 俊太郎
曲:谷川 賢作

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この詩は、2002年に解散した「Diva」というグループが歌っていた「さようなら」という曲です。詩人谷川俊太郎の詩をうたにした作品が多く、独特な雰囲気をもったグループです。

このDivaを知る事になったのは今から約2年前、JCの全国大会で茨城県水戸市に出掛けた際の時です。大会会場の中でBGMとして使われていた、この曲が忘れられないフレーズとして頭の中に深く刻み込まれました。大会が終わってからも、この曲がなんの曲なのか、誰が歌っている曲なのか、調べるすべも無く、ただ時間が過ぎ去りました。

しかし後日、この大会の状況を掲載した情報誌に、この曲のタイトルとグループ名が記載されており、それからこのグループについて調べ始めました。しかし残念な事に既にグループは解散、CDも生産中止で入手は不可能という事がわかり、ひたすらヤフオクで出品されてくるのを待ち続けました。

そして数ヵ月後、やっとヤフオクにCDが出品されたのを確認、落札価格等も関係なく気付けば定価の倍近い値段で落札(笑)、やっと手元にCDが届きました。

今までヘヴィメタ、デスメタルといった激しい音楽に傾倒し続けたこの10数年間、それがこの、たった1曲の童謡のような歌にノックアウトされてしまったような印象を受けました。こんな音楽もアリだな、と。。。そしてこの詩の中に秘められた想いを考えると、流石奇才詩人家の谷川 俊太郎、一筋縄では解読出来ない奥深さがあります。

今でも気分を落ち着けたい時、リラックスしたい時にはこのCDを引っ張り出して聞いてます。今日はそんなCDと、この「Diva」というグループの紹介をさせて頂きました。(*^-^*)



http://www.asahi-net.or.jp/~aq4j-hsn/diva.html


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投稿者:Ino at 7:32 AM | Comments [0]

●「さようなら」

ぼく もう行かなきゃなんない
すぐ 行かなきゃなんない
どこへいくのか わからないけど
さくらなみきの下をとおって
大通りをしんごうでわたって
いつも眺めてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのか 知らないけど
おかあさん ごめんなさい
おとうさんに優しくしてあげて
ぼく すききらい言わずに なんでもたべる
ほんも いまよりたくさん読むとおもう

夜になれば星をみる
昼はいろんな人とはなしをする
そしてきっと一番好きなものを見つける
見つけたら 大切にして死ぬまで生きる

だから遠くにいても寂しくないよ
ぼく もう行かなきゃなんない
すぐ行かなきゃなんない
ひとりで行かなきゃなんない
すぐ行かなきゃなんない


詩:谷川 俊太郎
曲:谷川 賢作

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この詩は、2002年に解散した「Diva」というグループが歌っていた「さようなら」という曲です。詩人谷川俊太郎の詩をうたにした作品が多く、独特な雰囲気をもったグループです。

このDivaを知る事になったのは今から約2年前、JCの全国大会で茨城県水戸市に出掛けた際の時です。大会会場の中でBGMとして使われていた、この曲が忘れられないフレーズとして頭の中に深く刻み込まれました。大会が終わってからも、この曲がなんの曲なのか、誰が歌っている曲なのか、調べるすべも無く、ただ時間が過ぎ去りました。

しかし後日、この大会の状況を掲載した情報誌に、この曲のタイトルとグループ名が記載されており、それからこのグループについて調べ始めました。しかし残念な事に既にグループは解散、CDも生産中止で入手は不可能という事がわかり、ひたすらヤフオクで出品されてくるのを待ち続けました。

そして数ヵ月後、やっとヤフオクにCDが出品されたのを確認、落札価格等も関係なく気付けば定価の倍近い値段で落札(笑)、やっと手元にCDが届きました。

今までヘヴィメタ、デスメタルといった激しい音楽に傾倒し続けたこの10数年間、それがこの、たった1曲の童謡のような歌にノックアウトされてしまったような印象を受けました。こんな音楽もアリだな、と。。。そしてこの詩の中に秘められた想いを考えると、流石奇才詩人家の谷川 俊太郎、一筋縄では解読出来ない奥深さがあります。

今でも気分を落ち着けたい時、リラックスしたい時にはこのCDを引っ張り出して聞いてます。今日はそんなCDと、この「Diva」というグループの紹介をさせて頂きました。(*^-^*)



http://www.asahi-net.or.jp/~aq4j-hsn/diva.html


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投稿者:Ino at 7:32 AM | Comments [0]

April 6, 2006

●これもヴィンテージ楽器かね?

Blogは久々の更新だにゃ。(^^ゞ

つい先日まで騒がれていた「PSE法」、何時の間にか訳のわからん法律が出来ていたんですねえ。。。
で、私も該当する楽器・機材がいくつかあるんですよね~。バンド時代に使用していたMarshallのギターアンプ×2機、20歳前の頃に買ったモノだから、17年前のモノなんだねえ。。。JCM800シリーズとJCM900シリーズを持っております。最後のライブで使用したのが、もう7~8年前の事だから、もうとうに真空管もイカレちまってるだろうな。。。(苦笑)予備として新しい真空管は何セットか持っているけれど、まだ使えるのかな?(^^ゞ

別にσ(^^;は業者じゃないし、アンプは売る気もないからいいんだけどね。なんかこんな話題で取り上げられてから、久しぶりにアンプを通して音出してみたいなあって思うようになりました。勿論、フルボリュームで鳴らしたら近所迷惑になるけどね。改造してあって、普通のアンプよりも大音量で鳴るモノなので(爆)。

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投稿者:Ino at 5:20 PM | Comments [0]

September 21, 2005

●バンド時代・6

ひさびさに音楽の話題でも。。。(^^ゞ

私が元へヴィメタさん(今でもよく聞いてるけど・笑)だった事は過去のBlogにも書いてきました。最初はMETALLICA、SLAYER等のコピーから始まり、後半ではDEATH、DEICIDE等のデスメタル(笑)のコピーが主流になり、やがてオリジナル曲も作るようになりました。10年近く前の話ですが、「OUTRAGE」というメジャーデビューしたバンド(知ってる?)が仙台に来た際、前座としてもライブを行った実績もありました。

写真はバンドのオリジナル曲を収めたデモテープです。今でもたまに聞き返すことが多いですね。その後も何曲かオリジナル曲を作ろうと思い、リフを納めたテープが何本か未完成のまま残っています。何時かキチンと曲として完成させたいなと思ってますが、「言うは易く行なうは難し」でして。。。(^^ゞ

でも最近になって、また何か音楽でもやりたいな、と思うようになりました。未完成の曲が出来上がる時が、何時の日か来るのでしょうか。。。

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古いAE20のテープが時代を物語ってますね。(笑)

投稿者:Ino at 7:19 AM | Comments [0]

June 24, 2005

●バンド時代・5

はい、お次はステージ上でのエピソードです。(笑)

開演前、1時間くらい前には全ての作業を終えて、それぞれが準備に入ります。
ステージに上がる方々は、ハッキリ言ってかなり化粧が濃いです。(^^ゞ
と言うか、そのくらいハデに化粧しないとステージ上では映えないんですよ。
男性もそれなりにアイラインを引いたり、必要に応じて女性と変わらない化粧をします。
ビジュアル系のバンドは、女性よりも化粧の時間が長いとです。(笑)

へヴィメタバンドによく見ますが、髪を立てるヤツが居ますよね?
人によりますが、髪型をセットするのに最低でも2~3時間は費やします。(マジ)
しかも一度にスプレー2,3本は使いますので、オゾン層破壊に繋がります。(^^ゞ
「X J○P○N」のDr.の方も当初は髪を全て立てていたのですが、ライブの時に
遅刻してセットの時間が足りなくて、片側半分だけ立てた状態でステージに
でたら好評で(?)その後は例の右側だけ立てたスタイルに定着しちゃったんですよね。
ちなみにスプレーは、大手スーパーの「ダイエー」で売られているスプレーが定番です。
500円と安いし、一番髪が立てやすいスプレーなんです。私も愛用してました。(爆)

コンサートが始まると、ステージ上は熱気とライトの熱で、蒸し風呂状態になります。
下手な化粧をしてると汗で落ちちゃうので、ステージ後半では「・・・貴女は誰?」みたいに
なっちゃいます。(笑)憧れのアイドルでも、この時ばかりは近づかない方が・・・(以下略)
ステージ上がこんな状態ですから、最前列の客席もたまったものではありません。
貧血で倒れる方が続出します。前述したバンドのライブの時には、3時間程で救急車が
4度お越しになられました。他にも超有名な若手二枚目の演歌歌手のコンサートの時にも
卒倒したオバサマ方が数多くいらっしゃったそうですよ。(笑)

最前列に並ぶファンってやはり熱狂的な方が多く、ライブ中は警備側もタジタジです。(^^;
あの勢いは、バーゲンセールに並ぶオバサマ方にも引けはとらないです。(笑)
言う事は聞かないし、いくら押し戻しても寄る波の様に怒涛の如く迫ってきますから。(笑)
興奮した女の子なんか、上半身素っ裸になる子も居ますし、イッちゃったような子も
見られます。(^^; ステージ脇から様子をみてると、失礼だけどおかしいです。(笑)

トラブルも多く起こりますネエ。照明が消えたり音が出なくなる事も多いです。
この時の誤魔化し方ってのも心得てまして、MCで繋いだりアコースティックでの
弾き語りに切り替えたりと、逆にトラブルが起こる事を楽しんでいる方も多かったです。
ギターの弦が切れても、プロの手に掛かればわずか10秒足らずで交換しちゃいますから。
ホント、見てると神業のような技術です。

あ、そうそう、何時の話だったかなあ。とあるバンドのメンバーが家族で会場に来ていて
(家族が居る事は世間には内緒です)、そのお子さんが本番中のステージに飛び出して
行っちゃったんですよ。あれには一同ビビリました。後でひどく怒られましたけど。(^^ゞ

今度は打ち上げの時のエピソード等についてお話しますね。

投稿者:Ino at 7:31 AM | Comments [0]

June 22, 2005

●バンド時代・4

今度はミュージシャン側ではなく、その裏側で支えてくれているスタッフのお仕事の
内容をご紹介しましょうかね。

一般的な500~600人クラスの会場でのコンサートの準備についてです。
通常は丸一日の会場貸切となり、AM10:00頃にはスタッフも会場入りし、機材の
搬入から始まります。最初のお仕事は照明の設置から。会場にあるものだけでは
足らないので、ステージ上部にある照明バトンを下に降ろして取付しますので
その間はステージ上での作業はありません。照明の取付が終わるとバトンを上げて
照明の角度を調整していきます。この頃からステージ上の装飾とセッティングに
取り掛かります。これでお昼頃まで掛かるかな?
ステージ上以外では、会場入り口近辺でのポスター貼りやパンフ類等の販売の
セッティングが始まります。こういったものの収入って、殆どがスタッフの経費等になるので
売れないと収支が大変になるんですよ。結構重要なんです。(笑)
楽屋では衣装のセットやケータリングの用意がされます。アーティストによっていろいろですが
「部屋の室温は25℃!」とか「ミネラルはエビアンじゃないとダメ!」とか、
「ポテチはコンソメ!」など(爆)、要求はいろいろです。
ステージ衣装も、長期のツアーになるとクリーニングに出す時間も無いので、はっきりいって
汗くさいです。(^^ゞ 無理やりコロンで誤魔化してるって感じですね。(笑)

コンサートの運営スタッフですが、基本的には同じ人間がツアーの最初から最後まで
同行します。その人数は規模によりますが、少なくても100名前後。その移動や宿泊にも
多くの費用が掛かりますので、最近のチケット代が1万円近くになってしまうのも
無理はありませんね。
現地側でバイトクンを頼む事も多いですが、仕事の内容は機材の運搬と警備が殆ど。
しかもそのお金は安いです(苦笑)。一日働いて5~6千円になるかどうか、かな?(^^ゞ

ステージの装飾が済むと、今度は楽器・機材のセッティングです。
これはミュージシャン専属のローディーが作業しますので、皆さん慣れた手付きで
さっさと準備をしていきます。一番掛かるのは音響のセッティングとチューニングなんです。
会場によって音の伸びは様々なので、ステージ上のみならず観客席まで降りていって
音のチェックをしなければなりません。それと観客の声援があるのと無いのでは
またセットが違ってくるので、コンサートのオープニングで調整が必要になります。この辺は
PAの腕次第ですね、上手い人だと開始早々1分くらいでピタリとセットしますが
下手なヤツだと・・・、なのでコンサートスタッフの中でもPAは重要な役割ですね。

ミュージシャン達は大体15時くらいに会場入りします。その後簡単に衣装合わせや
ステージ上のチェック、音合わせ~リハーサルに入ります。リハーサルの頃には
スタッフのお仕事も落ち着きますので、休憩がてらリハーサルの様子を見てたりします。
いわゆる「追っかけ」のファンの子って、この会場入りの時間から会場の裏口で待機してるので
ハッキリ言って邪魔なんですよね。ミュージシャンを逃がすのに一苦労するのよ。。。(^^; 

コンサートに使用する機材は殆ど10t車などで運び、ツアーの規模によって2,3台は
使います。前夜のコンサート会場から夜間移動する事が多いので、夜中に高速や
一般道でよく見かける事が多いと思います。トラックの横には派手に「・・・tour 2005」等の
文字が書かれていますからね。トラックの中身は機材や照明、衣装が殆どですが、
紅白に出場されている、毎回派手な衣装で有名な小○幸○さん等は、衣装のトラックだけで
機材車が5台程度になるとかならないとか。。。何着持ってくるんでしょね?(^^ゞ

17時頃には殆どのセッティングも終わり、微調整をしていきながらミュージシャンの準備に
入っていきます。リハから会場オープン間際がゆっくり出来る時間帯なんですね。
勿論その後は怒涛の如く忙しさは増すわけですがね。(笑)

次回は、開場間際のバタバタ騒動とミュージシャンの挙動不審な行動(笑)、コンサート終了後の
話題についてお話しますね。

投稿者:Ino at 7:08 AM | Comments [0]

May 26, 2005

●バンド時代・3

今度は某有名バンドとの関わりやちょっとした暴露話など。。。(笑)

学生時代には、メジャーデビューしたバンドのお手伝いなどにもよく行きました。
最初はチケットの切り方や警備の手伝いでしたが、私自身バンドをしてると言う
話が伝わり、PAやミュージシャンの近くで作業する機会も段々と増えていきました。
バイト料も結構いい加減でネ、警備の時は時給600円前後だったのに、PA等の仕事を
するようになったら、コンサート1回で2~3万円貰えた事もありましたね。(^^ゞ

最初にお手伝いしたのが、女性5人組のバンドでした。初めて仙台に来た時は
駅前デパートのライブホールだったのですが、その1年後には宮城県民会館で
ライブをしましたからね、当時の勢いはホントに凄かったです。このバンドの打ち上げには
たまに呼ばれまして、特にvo,Gの方とは仲良くさせて頂きました。vo,の方は解散後に
ある俳優さんと結婚されましたね。G,の方も最近結婚されたという話を聞きました。

次に印象深いのが当時は3人組のユニットで、vo.は女性の方のバンドです。
2002年に1人脱退された後も活動を続けてますね。これも売れてるバンドですね。
ライブ開始少し前、控え室でボイストレーニングをされてたのですが、これが凄い声量で
マイク無しで会場の中まで聞こえてきそうなくらいでした。これにはビックリ。
ライブ終了後も、普通は疲れてクタ~っとしてる方が多いのですが、この方だけはピンピン
してましたよ。(笑) あんな小さな体の、何処にそんな体力があるのかな。。。

そして1988年に解散した、あの驚異的な男性4人組のバンドのvo,の方のライブにも
お手伝いで伺った時があります。流石に近くまでは寄れませんでしたが(^^; この方の
発する「オーラ」は、今でもよく憶えていますね。ライブ会場まで愛車のポルシェ928で
颯爽と乗り付けて現れたときは、カッコ良くてマジで鳥肌モノでしたよ。

そして正式にはバンドでは無いのですが、よく仙台でライブを開いた方もいらっしゃいました。
この方は当時の彼女が仙台に居たので、ライブ以外の時でもよく仙台に来てました。
この彼女ってのが私の知人だったのですが(笑)、よく愚痴を聞かされたものでしたね。(^^;
何でも、A○女優さんと二股(奥様も入れると三股?・笑)かけられてたとか・・・。
北海道出身の誰かさん、ウソついちゃダメですよ!(爆)

・・・なんかこれ書いてたら、いろんな話題を思い出してきた。(^^ゞ
そのうち、また小出しにして話題をエントリーしていきますね、お楽しみに。(笑)

投稿者:Ino at 7:14 AM | Comments [0]

May 20, 2005

●バンド時代・2

高校~大学時代の音楽への関わりを少し。。。

当時は「イカ天」(知ってる?・笑)が全盛期の頃で、仙台からも腕に自身のあるバンドが
続々と出演していた頃でした。
私がギターに触れるようになったのは、高校時代に友人から偶々ギターを借りたのが
キッカケでした。遊びで触っているうちにのめり込む様になり、何時しか自分でギターを
購入するまでになりました。最初に買ったのは3万円のAria Proのギターでした。
この頃コピーした曲は、BOOWYやRED WARRIORS等の邦楽路線でした。
(今考えると、なんとミーハーな選択だったんだか。。。お恥ずかしい。。。(^^ゞ )

その後、お約束通り(笑)洋楽路線に転換していく訳ですが、私が一番ハマッて聴いたのが
LED ZEPPELINだったんです。よく聴いたのが「Ⅱ」と「Ⅳ」かな?特に「Ⅳ」は今でも聴いてますね。

毎月の小遣いの中からレコードを購入していくのですが、そうそう買える訳も無く
仙台市内の中古レコード屋に出入りするようになり、最初はギターフレーズを憶える為に
楽譜(バンドスコア)も購入していきましたが、お金が勿体無く感じ、レコードを聴いた後、
その音感を頼りにフレーズを憶えていく、いわゆる「耳コピー」で曲を覚えていきました。
昔からピアノ等の楽器を触っていたお陰で、音感は結構良かったみたいです。
当時鍛えたお陰で、今でも大体の音感は耳で聞いただけでわかります。
意外と便利ですよ~。皆さんも、お子さんには是非何か楽器を覚えさせてあげて下さい!

その後ここから急にヘビメタ路線に切り替わる訳ですが(爆)、METALLICAMEGADETH
ANTHRAXSLAYERと言った、当時の4大スラッシュメタルバンドにハマり、特にMETALLICAは
1stから4thアルバムの全曲を弾けるくらいにまで練習しました。
・・・あの頃は若かったにゃあ。(笑)

またいずれ、この続きを書こうと思います。

投稿者:Ino at 5:36 PM | Comments [0]

May 15, 2005

●バンド時代

ネタが無いので、昔の話題でも。(笑)

私が学生時代にバンドをやってたのはHPで既にご紹介していますが、
一番熱心だったのが21~22歳の頃、そして20代後半の頃でした。
学生時代は講義が無い時間帯は、サークル内のスタジオに篭り練習の毎日。
当初はBOOWYから入ったミーハーでしたが(笑)、その後すぐにHR/HMに目覚め、
音作りや速弾きの練習に余念の無い日々でしたっけね。
大学卒業後はしばらくお休みしていたのですが、私が専門学校を卒業して実家に
戻った頃、昔の仲間が集まり再びバンドを始める事になりました。

バンドの名前は「DISTRESS」。活動そのものは10年近かったですね。
このバンドでは、私はベースを弾いてました。
全盛期の頃はプロのライブの前座まで務めました。ジャンルがジャンルだったので(笑)
「知る人ぞ知る」と言う感じのバンドでした。デモテープもありますので
興味がありましたら是非御視聴下さい。オススメはしませんがね。(^^ゞ
仙台のスタジオで練習し、そのが私のアパートに来ては再び練習と曲作りに
明け暮れました。その音源はまだ手元に残っています。

あれから7~8年、この間に私を除くメンバーは皆結婚し(爆)、子供も居ます。
メンバーは福島、仙台、山形の鶴岡、そして白石の私とバラバラになっていましたが、
この春に、ドラムのヤツが鶴岡から転勤で実家のある山形市に戻ってきました。
昔とは状況が違いますが、また気軽に集まれる状態にはなれそうです。。。

最近、再びギターを手にする機会が増えました。しばらく触っていなかったので
弦もテクも、すっかり錆び付いてしまいましたが、また活動の日が来る事があるのでしょうか。。。

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学生時代の私です。(1992.12月 仙台141ホールにて)

投稿者:Ino at 7:38 AM | Comments [0]